2011年3月22日火曜日

コミュニティ放送が目指すべき方向(意見)

個人の考えとしては、コミュニティ放送はAMよりも(県域)FMよりも、もっと音楽に特化した放送であってほしいのです。
それはコミュニティFMが市民のBGMになってほしいから。「この局をつければ、いつもいい音楽が流れる」と覚えてもらえれば幸いなんです。

…という理由もありますが、先の音楽に重きを置く意見は、実はパーソナリティや制作力・資金の「限界」を補うためでもあります。
考えてみてください。AMのような面白い喋りをするパーソナリティや、(県域)FMのようなムーディーな喋りができるパーソナリティさんなんて、なかなかいません。そういう希少性とコミュニティFMの制作資金を考えると、コミュニティ局が大手局と対等な戦略で挑むというのは、コミュニティFM側が非常に不利になります。

これに付随してお話しすると、コミュニティ放送は従来の放送とだいぶテイストが異なります。これは実際にコミュニティ放送を聴いたことがある人なら誰もが最初に実感することだと思いますが、番組の内容からパーソナリティの話し方、音楽の種類まであらゆることが違います。それも地域性や制作力から生まれる特徴です。

今まで聴いたことはないけれど、今後コミュニティ放送について興味があるという人がもしいたとしたら、まず県域局が作り出してきたこれまでの「ラジオ」という先入観をすべて捨てて聴いてほしいと思っています。
県域局とコミュニティ局を同じものさしで測らないでください。なぜこんなことを言うのか。それは大抵が「クオリティが低い」と感じてしまうからです。そうして幻滅し、聴かなくなってしまうことが怖いからです。

こういう例えはどうでしょうか、これまでのラジオ局は「大手企業」。一方コミュニティは「中小企業」。実際規模もこんな感じではないでしょうか。
つまり規模が小さいなりの放送ですよ。っていうことをわきまえて、温かい目で見てほしいということなんです。悲しいですがこれは否定できない、明らかな事実であり、コミュニティの限界だと思っています。
だからコミュニティはダメなのか?いいえそんなことは決してありません。
前にも書いたかもしれませんが、自分が思うコミュニティFMの良さは「音楽」と「身近」という2点だと思っています。
流行に流されない音楽をかける。メッセージを送ったらほぼ必ず読んでくれて、可能な限りリクエストにも応えてくれる。こんな温かいラジオ局が「コミュニティFM」だと思っています。
それを僕に教えてくれた、というか僕がそう感じたきっかけは、すでに1年前に閉局してしまっている「エフエム多摩 G-WIND」です。