2011年5月30日月曜日

【メモ】卒論予定

結論の方向:音楽に特化した番組作りが、ラジオの復興へつながる

理由1:海外の「ミュージック・ラジオ」
理由2:80年代のFMブーム
理由3:若者の音楽聴取習慣
※コミュニティ放送の場合は、人材面でも特に音楽への特化が必要

2011年5月25日水曜日

FMのエアチェック文化は廃れたのか

ということについて、ずいぶんと前から疑問に感じています。

FMラジオが登場した当初、「FM」というブランドの確立に力を注ぎ、「若者向け」で「音楽中心」という番組作りで成功したと聞きます。
その中で、「エアチェック」という、ラジオから音楽を録音するという習慣が生まれたとか生まれないとか…

自分の生まれる前のことなのでよくはわかりませんが、少なくとも現代の県域FM局ではそのような流れは廃れてしまったように思います。FMとAMの差別も、そのときのイメージよりはあいまいになっているような気がします。
「エアチェック」なんて言葉すら知らない人も多いでしょう。ラジオが好きな人だって、ラジオとは面白い「トーク」を聴くためのメディアとか考えてるのではないでしょうか。

そこに私は一石を投じたい訳です。
まずはコミュニティ放送を聴いてください。音楽がシームレス(?)に流れている時間がなんと多いことか!どうぞ録音してくださいと言わんばかりに。
中学の時にコミュニティFMと出会い、私はずっとエアチェックをしてきました。最新のJpopも、昔の名曲も、クラシックだって、なんでも無料で手に入れられました。
今はみなさんiTunesで買ったり、動画サイトから奥の手で入手することが一般的なんでしょうが、FMで録音する楽しみ。あれを一度は皆さんにも味わっていただきたいと思っています。

エアチェックの復興こそが、日本で音楽ラジオが復興する礎になるのではないか、最近はそんなことを考えています。

2011年3月22日火曜日

コミュニティ放送が目指すべき方向(意見)

個人の考えとしては、コミュニティ放送はAMよりも(県域)FMよりも、もっと音楽に特化した放送であってほしいのです。
それはコミュニティFMが市民のBGMになってほしいから。「この局をつければ、いつもいい音楽が流れる」と覚えてもらえれば幸いなんです。

…という理由もありますが、先の音楽に重きを置く意見は、実はパーソナリティや制作力・資金の「限界」を補うためでもあります。
考えてみてください。AMのような面白い喋りをするパーソナリティや、(県域)FMのようなムーディーな喋りができるパーソナリティさんなんて、なかなかいません。そういう希少性とコミュニティFMの制作資金を考えると、コミュニティ局が大手局と対等な戦略で挑むというのは、コミュニティFM側が非常に不利になります。

これに付随してお話しすると、コミュニティ放送は従来の放送とだいぶテイストが異なります。これは実際にコミュニティ放送を聴いたことがある人なら誰もが最初に実感することだと思いますが、番組の内容からパーソナリティの話し方、音楽の種類まであらゆることが違います。それも地域性や制作力から生まれる特徴です。

今まで聴いたことはないけれど、今後コミュニティ放送について興味があるという人がもしいたとしたら、まず県域局が作り出してきたこれまでの「ラジオ」という先入観をすべて捨てて聴いてほしいと思っています。
県域局とコミュニティ局を同じものさしで測らないでください。なぜこんなことを言うのか。それは大抵が「クオリティが低い」と感じてしまうからです。そうして幻滅し、聴かなくなってしまうことが怖いからです。

こういう例えはどうでしょうか、これまでのラジオ局は「大手企業」。一方コミュニティは「中小企業」。実際規模もこんな感じではないでしょうか。
つまり規模が小さいなりの放送ですよ。っていうことをわきまえて、温かい目で見てほしいということなんです。悲しいですがこれは否定できない、明らかな事実であり、コミュニティの限界だと思っています。
だからコミュニティはダメなのか?いいえそんなことは決してありません。
前にも書いたかもしれませんが、自分が思うコミュニティFMの良さは「音楽」と「身近」という2点だと思っています。
流行に流されない音楽をかける。メッセージを送ったらほぼ必ず読んでくれて、可能な限りリクエストにも応えてくれる。こんな温かいラジオ局が「コミュニティFM」だと思っています。
それを僕に教えてくれた、というか僕がそう感じたきっかけは、すでに1年前に閉局してしまっている「エフエム多摩 G-WIND」です。

2011年1月23日日曜日

ラジオの目的とは?

いま世間的に注目されていると思われる「地域メディア」
ラジオであれば「コミュニティFM」がその一端を担うことができるのではないか?と言われることがありますが果たしてどうなのでしょうか。

そもそもラジオが窮地に立たされているという話は以前にもこのブログでお話ししました。
ラジオを進んで聴く動機がない人が多い、ラジオを聴いてくれる人がいない。そうなると、果たして誰のために放送しているのか、ということになってしまいます。

一方で、地域の人が気軽に情報発信できるツールとしての地域メディアは活気がない訳ではありません。
つまり地域のラジオで自分たちが情報を発信したい。という人々は少なくない、ということです。
これはミニFMをやっている方から聞いたお話ですが、「ラジオをやりたいと集まってくる人の中に『ラジオを一度も触ったことがない』という人もいる」ということがあるそうです。
ラジオを聴いたことがないのに、なぜ「ラジオで」情報を発信しようとしているのか私は理解できません。
曲がりなりにも地域のラジオに関わらせていただいている自分も、似たような人々に何回か遭ったことがあります。

結局のところ、彼らにとってはラジオで発信すること、それ自体が意義であり、ラジオというメディアの潜在能力についてはないようなものとして捉えているのでしょうか?実際その通りなのがまた悔しいですが…

そうなってくると、ラジオは「発信している側」が楽しいことが第一で、「受信する側」つまりリスナーが楽しいか、という大切なポイントが失われてしまうのです。実際に聴いてる人がいないに等しいのであれば仕方がないのかもしれません。


しかし、そういう地域のメディアを聴いて育ってきた私にとっては、それはどうしても許せません。納得がいきません。
いや、論理的に考えれば仕方がないのでしょうが、それで黙っていることができないのです。

聴いている人がいるから作る。聴いている人のために作る。聴いている人が楽しめるように作る。
これができていないラジオは、形の上では「ラジオ」かもしれませんが、本当の意味での「ラジオ」ではないと思います。
さらに言えば、リスナーが楽しめるように工夫して番組を作ること、それが作っている側の「楽しさ」とならなければならないのではないでしょうか。


ラジオは聴いてもらうのが目的か、作ること自体が目的か、番組を作りたいと考えている方には、一度立ち止まって考えてほしいと思います。

2011年1月3日月曜日

転換期を迎えるラジオ

1. 問題の明確化
現在ラジオが抱えていると思われる問題は、以下の二つがあると思う。

●収入の減少
どのメディアにも言えることではあるが、インターネット広告の普及とともに既存メディアの広告収入は減少の一途を辿っている。特にラジオはその影響が強い。
2010年には愛知県の県域局が閉局する事態にまで悪化している。

●リスナーの高齢化
私は、ウォークマンやiPodの普及が、若者がラジオに触れなくなった原因のひとつではないかと推測している。
80年代のFM放送は、エアチェックブームなど若者が音楽を手に入れる手段の一つとして利用されていた。しかし90年代からCDをレンタルで安く入手したり、2000年代からインターネットで楽曲を購入する、あるいは不正に入手できるようになり、FMの存在意義が薄くなった。



2. 解決策
では、広告収入を増やし、また若者のリスナーを増やすにはどのような取り組みが必要か?

●コンテンツは今まで培ってきたものを続けていけばよい
発信者(パーソナリティ)と受信者(リスナー)の距離が近い、音楽に強い、などの特徴は今後も変える必要はないし、変えなくてよい。問題は、ラジオへのアクセシビリティをどう改善するか、である。

●リスナーの力を、営業で強くアピールする
ラジオは愛されるメディアである、と私は考えている。リスナーが愛しているラジオ局への思い、そこから生まれる力を、営業でいかにアピールするかが大切である。
また聴取率調査のできないコミュニティ局では、リスナー数の可視化がまず解決すべき問題である。多かれ少なかれリスナー数がわかることによって、制作側の意欲・良い意味での緊張感が生まれる。

●若者が手軽に楽しめる工夫
現在の若者はラジオの聴き方がわからない、ということもままあるらしい。ラジオは向こうからアプローチしてくれるのを待つだけでなく、より聴きやすく、手軽に楽しめるメディアへと変化しなければならない。
その手段として、radikoに代表されるようなIPサイマル配信。あるいはVHFローバンドを利用したデジタルラジオやマルチメディア事業など、新たな分野を開拓することが必要である。これらはいずれも「デジタル化」を意味する。デジタル化のメリットは、手軽にアクセスできるようになることももちろんだが、なんと言っても1番はノイズが少なくなること。これは高音質で場所を問わずにラジオが楽しむことができるようになることを意味する。
ラジオのデジタル化が進めば、若者のイヤホンをiPodやウォークマンからラジオが奪う。そんなことも夢ではないはず。

皆さんはラジオの問題、そして解決策をどのように考えているだろうか?
それぞれの主張に、正確な根拠を載せてられていないので、私の主張が薄っぺらいものだと思う人もいるかもしれない。
しかし、「ラジオは生まれ変わる必要がある」ということだけは真実だ。

2010年12月20日月曜日

FMたちかわ「サンセット・ストリート」オープニング耳コピ

黄昏迫る帰り道。
ちょっとの元気がもらいたくて、ラジオのイヤホンをつけてみた。

思い出がよみがえり、涙がこぼれた。
心が温まり、勇気が出た。

2010年8月17日火曜日

名称未設定

物心つく前から住んでいるこの街にも、いつかはコミュニティ放送局を…という思いがあった。大好きなこの街に。
しかし、行政面、経済面ともに実現は厳しいところは否めない。

そんな折、自分の一番大好きだった近隣のコミュニティ局が閉局してしまった。
自分のラジオ観を大きく変えてくれた放送局。厳しい環境に置かれていることはわかっている。それでも、それを継承したいと思った。
色々な思いはあったが、地元では諦めていた。


でも、ミニFMながら地元にラジオ局ができた。
そうだ、コミュニティをやるなら今しかチャンスがない。

そこは人材が揃っていて、番組のクオリティも決して悪くない。音楽番組に関しては、他に引けを取らない。
あとは、より専門的なノウハウを持った人材と、地元の協力資金さえあれば…

そんなことを、最近考えています。